HISTORY

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〜ノマドの沿革〜

Long , Slow , Distance , で歩んできた

「10年続いたら社会がその企業をつぶさない」。設立当時、ある企業の社長から言われた言葉です。この言葉を糧に頑張りました。「企業30年説」というのもあります。社会の変化に合わせてビジネスモデルを変えていかなければ、30年以内に限界が来るということです。当社も、“苦戦!”の連続ですが、2021年9月をもって50年目を迎えることができました。お客様が生かしてくれたという実感です。

 

50年を振り返ると、結果論になりますが20年ごとに仕事のあり方が変わってきたように思えます。前半20年は株式会社リクルートからの仕事が中心で、全産業にわたって多くの企業の取材・制作をしました。ここで勉強したことはいまも大きな財産になっています。その後の20年は大手チェーンストア、ベイシアグループの仕事が中心になっています。最初に仕事をいただいてからでは40年を超すお付き合いになっていますが、直接クライアントと仕事をする中で、人と人との“信頼”というものの重みを学んでいます。

 

20年1サイクルで言うならば、設立30年目になる「ノマドインターナショナル」(略称:台湾ノマド)も、海外に会社をつくって30年がたち、やっとある程度の基盤ができたのかなと思っています。新しい柱になりつつあるインバウンド関連の仕事も、東京・台湾が一緒になって30年続けてきた一つの結果であると考えています。テクノロジーの進化により、ビジネスの世界は大きく変わりつつあります。発想と実行力があれば、どんなことでもできる時代と言って良いでしょう。ノマド(遊牧民)は、一歩一歩着実に、Long(時間をかけて)、Slow(ゆっくりと)、Distance(長い距離を走る)で歩んでいきます。

1970年代〜 「オイルショック」の時代
1980年代〜 「バブル」の時代
年  表

1980年

・イラン・イラク戦争

・ジョン・レノン射殺

 

1981年

・スペースシャトル コロンビア初飛行

・英国・チャールズ皇太子と

 ダイアナ妃 結婚

 

1982年

・東北・上越新幹線開通

・500円硬貨発行

 

1983年

・ファミコン発売開始

・大韓航空機撃墜事件

・東京ディズニーランド開園

 

1985年

・日航ジャンボ機墜落

 

1986年

・チェルノブイリ原発事故

 

1987年

・国鉄 分割民営化

 

1988年

・青函トンネル開通

 

1989年

・消費税スタート

・昭和天皇崩御 昭和から平成へ改元

・ベルリンの壁崩壊

1990年代〜「日本経済長期低迷」の時代
2000年代〜 「デジタル化」の時代
年  表

2000年

・三宅島噴火

・総統選挙-民進党陳水扁当選(台湾)

 

2001年

・USJ開業

・アメリカ同時多発9・11テロ事件

・ipod発売

 

2002年

・サッカーワールドカップ日本初開催

 (日韓同時開催)

 

2003年

・スペースシャトル

  コロンビア空中分解事故

・イラク戦争

 

2005年

・愛・地球博開催

 

2006年

・王建民メジャーリーグシーズンで

 リーグトップタイアジア人投手

 最多記録樹立(台湾)

 

2007年

・台湾高速鉄道開通(台北―高雄)

 

2008年

・リーマンショック

・総統選挙-国民党馬英九当選(台湾)

 

2009年

・裁判員制度スタート

・民主党政権誕生

・米国・オバマ大統領就任

・マイケル・ジャクソン死去

・八八水害( 台湾南部)

2010年代〜「インバウンド」の時代
年  表

2010年

・はやぶさ探査機が地球へ帰還

 

2011年

・東日本大震災

 

2012年

・ロンドンオリンピック

 

2013年

・韓国-朴槿恵大統領就任

 

2015年

・北陸新幹線開通

・訪日中国人“爆買い”

・米国とキューバ国交回復

・パリ同時多発テロ事件

 

2016年

・北海道新幹線開通

・熊本大地震

・リオデジャネイロオリンピック

・総統選挙-民進党蔡英文当選(台湾)

 

2017年

・米国--トランプ大統領就任

年  表

1972年

・日中国交正常化

・あさま山荘事件

・ウォーターゲート事件

 ニクソン失脚(アメリカ)

・ミュンヘンオリンピック

 

1973年

・オイルショック

 

1974年

・セブンイレブン第1号店オープン

 

1975年

・キティーちゃん誕生

・ベトナム戦争終結

 

1976年

・ロッキード事件(田中角栄失脚)

 →日本へ

・中国・毛沢東主席 死去

 

 

1977年

・巨人・王貞治選手 本塁打756号達成

・アップルコンピュータ設立

 

1978年

・成田空港開港

 

1979年

・ドラえもん連載開始

・英国・サッチャー首相就任

年  表

1990年

・湾岸戦争

 

1991年

・ソビエト連邦崩壊

・台湾戒厳令解除

 

1992年

・新幹線のぞみ運転開始

 

1993年

・Jリーグ開幕

・レインボーブリッジ開通

 

1994年

・関西国際空港開港

 

1995年

・阪神淡路大震災

・テレサ・テン逝去

 

1996年

・台北MRT木柵線( 台北市)開通

・中華民国(台湾)初総統選挙

 

1997年

・消費税3%から5%へ

・中国-鄧小平 死去

・香港-中国に返還

 

1998年

・長野冬季オリンピック開催

 

1999年

・ヨルダン--フセイン国王死去

・マカオ--中国に返還

・921大地震

1972年3月、百貨店の展覧会の企画・構成の仕事を約7年行った後、コピーライターとして独立。同年9月、株式会社「三恵クリエイティブ」を設立。上野駅前の吉沢ビルに事務所開設。医療機関やメガネ店のコピーを中心に、ボウリングセンターの広報誌、石油会社、農協関連の機関誌など友人・知人の紹介で様々な仕事をする。翌年10月、第一次オイルショック。東京の夜からネオンが消え、駅ホームの蛍光灯も1本おきになる。東京が暗く沈んだ。設立3年目にリクルート社との取引スタート。仕事が急増し、睡眠時間が3、4時間に。ライター、デザイナーも増える。事務所を四谷三栄町に移転。1975年ごろから株式会社いせや(現ベイシアグループの創業企業)の仕事が始まる。

ノマドの仕事

2度のオイルショックを乗り切った日本経済は安定成長に。80年代後半に入ってバブル発生。土地、株価急騰。株価のピークは3万8,975円。リクルート社の仕事も増加の一途。1年で70冊の会社案内・入社案内をつくった年もあった。銀行・証券会社も大手、中堅を数多く担当。証券会社の取材では、社長も幹部社員も口を揃えて「株価は永遠に右肩上がり」と言っていた。「いずれバブルは崩壊する」と言う冷静なファンドマネジャーも取材した人の中に何人かいた。当社の社員も増え、ライター7、デザイナー7、営業3、事務1とピーク時18名になった。品質管理が極めて困難になってさらに睡眠時間が減る。直のクライアント開拓をめざして営業部隊をつくったが、うまくいかず2年で消滅。マネージメントの未熟さを痛感した。いせや関係の仕事は着実に伸び、分社、新会社誕生とともに会社案内や広報誌の制作など新しい仕事が増えていった。代理店経由からクライアント直の仕事に変わることで、長期的、広い視点で仕事を捉える勉強になった。

ノマドの仕事

90年3月の日銀による「不動産融資の総量規制」を機にバブルは崩壊へ。株価も1万円を大きく割り込んだ。経済は急減速したが、リクルーティング関係の仕事が減少することはなかった。1992年、台湾にノマドインターナショナル設立。その2年前、台湾企業と合弁で“台湾版リクルート”「就業情報資訊股份有限公司」(略称 キャリア社)を設立した。それまで台湾には兵役を終えた人を紹介する粗末な政府広報誌があるだけで、「キャリア社」は台湾初の人材情報会社になった。いまも総合人材情報企業としては台湾のトップ企業になっている。キャリア社設立で台湾に多くの友人ができ、台湾の状況も知ってクリエイティブ会社「ノマドインターナショナル」をノマド100%出資で設立した。日本の大手代理店はすでに台湾に進出していたが、日系制作会社では最初だった。営業、デザイナー 併せて5,6名の体制でスタート、台湾に頻繁に出張することになり、観光ビザで入国できる90日近くまで出張した年もあった。

ノマドの仕事

2001年9月11日アメリカ同時多発テロ。世界は「不安の時代」へ。日本経済は「失われた10年」から「失われた20年」へとデフレ経済の時代が続き、いまもそこから脱することができずにいる。ノマドは日本経済とは関係なく人数バブルがはじけ、7、8名の“少数精鋭”体制に縮小。仕事の中心もベイシアグループになり、さらに、台湾ノマド関連で台湾や中国での様々な産業展示会の仕事が増えた。1990年代の大きな環境の変化は「デジタル化」である。すべて手作業で行っていた制作業務がマッキントッシュの普及でデジタル化され、分かりやすく言えばそれまで5人で行っていたデザイン作業が3人でできるようになった。コピーもワープロからパソコンになり、ファックス、インターネットの普及でお客様とのコミュニケーションも容易になった反面、FACE to FACEの密度が薄くなった。ホームページなどデジタル技術の修得が不可欠になった。

ノマドの仕事

2010年代も後半に入ったが、アベノミクスにも拘わらず日本経済は低迷が続く。あたかもその救世主のように2020東京オリンピック・パラリンピックが決まり、2000万を超える外国人観光客が日本に押し寄せる。訪日外国人の国内での消費は3兆円を超す(2015年)。“爆買い”は一休止したが訪日外国人は増え続け、20年までに4000万人を超すとの推定もある。台湾に実働部隊を持ち続けたことから、「台湾国際観光博」などインバウンド関連の業務が増える。日本・台湾観光協会、ジェトロ、地方自治体、JR、私鉄などとの仕事が多くなる。「最大の結果を出すために何をすべきか」の提案力が強く求められる。企画・構成などクリエイティブだけでなく、通訳の手配から商品の海外輸送・通関などまでサポートする業務範囲はボーダレス。これらは案外、コピーやデザインなど書斎型の脳に刺激を与え、新しい発想を生み出す。ノマドがめざす“仕事でも発想でも行動範囲でもボーダレスな遊牧民”に少し近づいた。

ノマドの仕事

1990年

・湾岸戦争

 

1991年

・ソビエト連邦崩壊

・台湾戒厳令解除

 

1992年

・新幹線のぞみ運転開始

 

1993年

・Jリーグ開幕

・レインボーブリッジ開通

 

1994年

・関西国際空港開港

 

1995年

・阪神淡路大震災

・テレサ・テン逝去

 

1996年

・台北MRT木柵線( 台北市)開通

・中華民国(台湾)初総統選挙

 

1997年

・消費税3%から5%へ

・香港--中国に返還

 

1998年

・長野冬季オリンピック開催

 

1999年

・マカオ--中国に返還

・921大地震

2000年

・三宅島噴火

・総統選挙--民進党陳水扁当選(台湾)

 

2001年

・USJ開業

・アメリカ同時多発9・11テロ事件

・ipod発売

 

2002年

・サッカーワールドカップ日本初開催

 (日韓同時開催)

 

2003年

・スペースシャトル

  コロンビア空中分解事故

・イラク戦争

 

2006年

・王建民メジャーリーグシーズンで

 リーグトップタイアジア人投手

 最多記録樹立(台湾)

 

2007年

・台湾高速鉄道開通(台北―高雄)

 

2008年

・リーマンショック

・総統選挙--国民党馬英九当選(台湾)

 

2009年

・民主党政権誕生

・米国・オバマ大統領就任

・マイケル・ジャクソン死去

・八八水害( 台湾南部)

2010年代〜
「インバウンド」の時代
1970年代〜
「オイルショック」の時代
1980年代〜
「バブル」の時代
1990年代〜
「日本経済長期低迷」時代
2000年代〜
「デジタル化」の時代

TOKYO / TAIPEI

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〜ノマドの沿革〜

Long , Slow , Distance ,

で歩んできた

2010年代〜
「インバウンド」の時代
2010年代〜
「インバウンド」の時代
2010年代〜
「インバウンド」の時代